”抽象的”という言葉
よく「"抽象的"すぎてわからない」という言葉を耳にします。
(実際に言われることがよくあるのでその分耳にする)
どうも”抽象”という言葉は「曖昧であやふやでしっかりとしたイメージがもてないもの」という用法が多用されているように思います。
そもそも”抽象的”ってなんぞや?という話しですが、辞書では以下のように説明されています。
1 いくつかの事物に共通なものを抜き出して、それを一般化して考えるさま。「本質を抽象的にとらえる」
(出典:抽象的(ちゅうしょうてき)の意味 - goo国語辞書)
辞書って用法の数字の若い方が本来の意味に近いと思っているのですが、多くの人が2を用いる。そして1の用法を知らないことも多々ある。
プログラミングのオブジェクト指向な言語を学習していくなかで「クラス」の理解に躓く人たちをかなり目にしました。
私自身も躓いた経験があります。
ですが、それはそもそも”抽象”という言葉の捉え方の違いが原因だったように今では思えます。
オブジェクト指向言語が求める”抽象”とは用法の1です。
次に用法2が一般的な解釈として存在しているのはなぜだろう?という疑問が生じたので用法1について考えてみたところ、以下のようになりました。
- 用法1の内容は目に見えない「考え」に関する内容である。
- 「考え」は目に見えず、実際に触れて存在を確かめることができない(=具体的ではない/用法2)。
- 具体的でないがゆえに解釈が合っているかの確認がしづらく、理解できた、認識できたと感じづらい。
- だから使われる機会が少ない。
用法1を考える中で用法2が出現する。
意味が発生した順序的にも矛盾しないことから、きっとこういう流れなんだろうなと思っております。