ウチウジン(間借り中)

宇宙人と言われた私ウチウ・ジンは、はてな様に間借りして目にしたあれこれを綴っております。

“常識”を疑う

「なんでそんなこともわからないの?
言わなくても常識で考えればわかるでしょ?」
私はこういう発言をする人の“常識”を疑います。

 

 “常識”とは「とある集団のなかで求められる知識やその範囲」であり、「その知識や範囲を知らない人に対して共有化すること」が“教育”であると思います。

 

新入社員であれば会社がこれまで築いてきたノウハウが、子供であれば礼儀作法や多くの人が好むもの嫌がるものがそれぞれ“常識”にあたり、まずはそれらを共有するために“教育”がなされています。

 

以上を踏まえて冒頭の発言をひもとくと、共有化していないものが共有化されていないとして相手を責める、自分が言ってないことを相手が知らないから相手が悪いと言っている、そういう姿勢です。

 

無茶苦茶じゃないですか...。
伝えていないものが伝わるなんて、相手がエスパーでもない限りまず無理ですよ。
これで相手を責めることのできる神経がわかりません。

 

かといって正直にこれを伝えると、大抵の場合は相手の怒りを買います。
なぜなら相手にとってはみんなが知っている知識のはずなのにそれを知らない私は常識外れであり、常識外れな人を相手にするには本来不要な労力が必要になるのですから。
いらない仕事が増えるのですから、怒りたくもなります。

 

因みに、“常識”が示す知識やその範囲について確認をとると更に面倒くささが増すのか、“理屈臭い”という評価もいただくことがありますが、これは余談。

 

こういった経験から、私は会話のなかで「常識的に考えて」というようなフレーズが出現すると、先ずはその人の“常識”が自分の持っている“常識”と同じではないだろうと疑うようにしています。

そのうえでお互いの“常識”の違うところや同じところ、似ているところを探り、“常識”を擦り合わせるように心がけています。

 

因みに、このように擦り合わせをするために一々相手の使う言葉の意味や考えの確認をとっていると、会話がスムーズに進まないことがあり“理屈臭い”という評価をいただくことがありますが、これは余談。